神社仏閣巡り (北九州市) 勝山勝田神社

勝山勝田神社
撮影月:2023年2月

 勝山勝田神社は、北九州市小倉北区と八幡東区を流れる板櫃川に架かる両国橋の南西にあります。

 両国橋から南方向に向かう道を、橋から600mくらい進んだ先の左側に北九州市立大倉小学校がありまして、勝山勝田神社はその学校の裏手になります。

 神功皇后の伝承がありますので、神社好きの方にはおすすめな神社です。

 本記事では、勝山勝田神社の見どころなどをご紹介しております。

最新参拝日:2024年2月中旬

勝山勝田神社の御祭神や由緒など

 勝山勝田神社の御祭神やご由緒などについてご紹介します。

御祭神

 現地の案内板によりますと、勝山勝田神社の主祭神は以下の三柱です。

名称読み方
大山津見神オオヤマヅミノカミ
武御雷神タケミカヅチノカミ
賦都主神フツヌシノカミ

 相殿神として、以下の九柱も祀られています。

名称読み方
大倉彦神オオクラヒコ
大久羅姫神オオクラヒメ
宇氣持神フツヌシノカミ
高龗神タカオカミノカミ
闇龗神クラオカミノカミ
大禍津日神オオマガツビノカミ
大日靈神オオヒルメノカミ
事代主神コトシロヌシノカミ
伊古那姫神イコナヒメノカミ

 「北九州市神社誌」によりますと、相殿神は、大倉主神社(大倉彦神、大久羅姫神)、貴船神社(宇氣持神、高龗神、闇龗神)、疫神社(大禍津日神)、大日神社(大日靈神)、恵美須神社(事代主神、伊古那姫神)の御祭神だったのですが、明治の終わりに勝山勝田神社に合併されたそうです。

 現地の案内板には、御祭神として神功皇后と武内大臣がカッコ書きで併記されていました。

(参考)現地案内板、および北九州市神社誌

勝山勝田神社の由緒(御神体について)

 下の写真は、神社入り口にありましたご由緒が書かれた看板です。

勝山勝田神社の案内板
撮影月:2024年2月

 神功皇后が三韓征伐後にこの地を勝山と名付けて、みづからお社をまつられた旨が書かれています。

 また、「北九州市神社誌」に勝山勝田神社について以下のお話が紹介されていました。

「社伝」に、神功皇后が三韓を討たれた時、此の勝山の竹を旗竿にされた。この例により、旧藩主黒田長政は勝山の名を賞でて、勝山の竹を旗竿とし、代々の藩主もならった。

享保年中、竹が枯れ果てて事が止んだ。

「北九州市神社誌」より引用

 神功皇后の人気は、いつの時代も高かったんですね。山中の竹を取りつくすなんて・・・。

 現在の本殿横の裏山には、うっそうとした竹林が広がっていました。

勝山勝田神社の裏山の竹林
撮影月:2024年2月

祭事

 勝山勝田神社で行われてます主な祭事は、以下のとおりです。

名称日程概要
秋祭10月12日

伝説

 境内に、「后の清水(きさいのきよみず)」と書かれた立札がありました。

后の清水
撮影月:2023年2月

 立札には、「神功皇后自ら此の水にて清浄を究め必勝を祈り奉る」と書かれていましたので、神功皇后が身をお清めになった場所ということだと思います。

后の清水の立札
撮影月:2023年2月

 神社の案内板には、帰朝後に皇后みずからお社をまつられたと書かれていましたので、お清めを行ったのは三韓征伐後だと思い込んでいました。

 ですので、「必勝を祈り奉る」という文言にちょっと違和感を覚えました。

 もしかしたら、皇軍の御旗竿の竹を伐りに皇后もこられたのかな、とか、他の戦に向かう際にもお参りされたのかな、とか色々想像が膨らみます。

 とりあえず、頭の片隅に置いておきます。

ご利益

 神社の由緒書きには、「その勝山のいわれによって勝運、武勇、開運の神様として信仰されています。」と記載されていました。

 神功皇后みずからお社をまつられた旨の伝承が残っていますので、これらの御利益は納得できますね。

 神功皇后にまつわる御神徳としましては、出産に関する信仰もあります。

 勝山勝田神社から徒歩で10分ほどのところにあります乳山八幡神社(大蔵八幡神社)には、ご祭神の中に神功皇后が含まれていまして、安産の神様として親しまれています。

勝山勝田神社のご案内

 神社の境内をご紹介していきます。

本殿・拝殿

 勝山勝田神社の拝殿と、その奥に本殿があります。

勝山勝田神社の拝殿
撮影月:2023年2月

鳥居

 鳥居は、入り口付近に1基ありました。

勝山勝田神社の鳥居
撮影月:2024年2月

 明治十九年に再建された鳥居です。

 黒田藩士が竹を取っていた様子を見ていた鳥居は、朽ちてしまったようです。

燈籠

 お社のすぐ脇に、1組の灯籠が並んでいます。

勝山勝田神社の灯籠
撮影月:2023年2月

狛犬

 狛犬は、見当たりませんでした。

社務所

 勝山勝田神社には、社務所はありません。

 いつか祭事が行われているときにお参りに行って、様子を確認したいと思います。

その他の見どころ

 その他、境内にあります史跡や気になったところについてご紹介します。

境内から裏山に続く道

 「后の清水」の裏手に、竹林があります裏山に続く道がありました。

勝山勝田神社の裏山に続く道
撮影月:2024年2月

 探検してみようと思ったのですが、神聖な場所のような気がしましたのでやめました。

 Googleマップで確認したところ、竹藪を突き進むと勝田公園に向かう道に出るようです。そこまで行く道はありませんが。

 勝田公園はかなり前に行きましたが、高台にありますので道中は激坂の連続でした。

 竹林の奥は、たぶん崖のようになっているのではないかと思います。

神功皇后が国々を望見した更暮山(皿倉山)

 境内の木々のすきまから西の方を見たら、皿倉山が見えました。

勝山勝田神社から観る皿倉山
撮影月:2023年2月

 皿倉山の頂上付近には、国見岩があります。

 その昔、神功皇后が皿倉山に登って国々を眺めて下山したとき、日が更に暮れたりとおっしゃったことから、更暮山と名が付き、いつのときからか皿倉山になったという伝承が残されています。

勝山勝田神社の情報

名称 勝山勝田神社
読み方 かつやまかつたじんじゃ
場所 北九州市八幡東区勝山1丁目
種類 神社
見学時間
料金
指定
駐車場 無し
アクセス 両国橋から約800m(徒歩約10分)
アクセス(車) 付近に駐車可能な場所が無いため困難
アクセス(公共) 「西鉄バス:二条」から約1km(徒歩約13分)
「西鉄バス:大蔵」から約900m(徒歩約12分)
備考  

地図

※神社の入り口は、大蔵小学校の裏手にあります。神社本殿の北西方向です。

おわりに

 勝山勝田神社のお社の正面は、参道に対して横を向いています。

 よく見かけますのは、まっすぐに続く参道の正面にあるお社や、急な階段を登り終えて正面を見上げると待ち構えているお社などですよね。

 以前はお社の正面に参道があったのかもと思って探ってみましたが、それらしい痕跡はありませんでした。

 この記事を読み直していて気付いたのですが、竹を取りにきていたのは黒田藩士ということは、ここは筑前国だったということになりますね。

 この辺りはちょうど国境ラインが近かったと思いますので、もしかしたら国境ギリギリのところに勝山勝田神社はあったのかもしれません。

 最後までお読みいただきありがとうございました!

(参考資料)

名称リンク
現地案内板
北九州市神社誌

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