長崎街道 ポタリング地図 神埼(かんざき)宿~境原(さかいばる)宿

長崎街道神埼宿にある櫛田宮
撮影月:2022年4月

 九州にある脇往還(脇街道)のひとつである長崎街道。

 江戸時代の重要拠点である長崎と江戸を結ぶルート上にある街道として、とても重視されていました。

 本記事では、長崎街道の神埼(かんざき)宿~境原(さかいばる)宿までを自転車で実際に走ってみて、現地で見た街道沿いの史跡や景色などをご紹介しております。

 江戸時代にあった火災や明治時代の佐賀の役(※)などによって、当時の建物はほとんど残っていませんが、宿場町特有のクランク状に折れ曲がった道は、当時と同じルートになっています。

※明治7年(1874年)2月に佐賀で発生した政府に対する士族の反乱

 現在、常盤橋から長崎県側の起点までを自転車で走破すべく、時間のある時に少しずつ走っています。

 長崎街道の走破(現在挑戦中)に関しましては、別記事「長崎街道 ポタリング地図 江戸時代の歴史を感じる旅日記」に書かせていただいてますが、本記事はその部分的な記事になります。

 全工程をまとめる予定の別記事の方もご覧いただければ幸いです。

(追記)

2023年10月31日に常盤橋から長崎まで走破することができました!

宿場町ごとの記事は順次追加していく予定です。

長崎街道のルートマップ(神埼宿~境原宿)

 自転車で長崎街道を走行する際には、入念に事前調査を行った上で行っています。

 その際に、Googleマップのマイマップ機能で、走行ルートや史跡ポイントなどを記録していまして、そのマップを確認しながら走行してます。

 下のGoogleマップは、私が実際に走行したルートを公開用に再編集したものです。

 これが長崎街道の本ルートだ!というものではありませんので、参考程度にご利用いただければと思います。

 地図内の史跡アイコンで示す場所は、以下で解説しておりますポイントになります。

長崎街道のルート解説(神埼宿~境原宿)

 神崎宿の東西の木戸口間の距離は1.5kmほどありまして、規模の大きな宿場町だったようです。

 宿場町の中心には、櫛田宮があります。この場所は、高札場が置かれたり、時には道の基点として利用されることもありました。

櫛田宮

 神崎宿の東木戸口跡から真っすぐな道を西に500mほど進みまして、左、右と直角に曲がった先にあります馬場川を渡ります。(地図内①)

馬場川に架かる橋
撮影月:2022年4月

 上の写真は、2022年4月に撮影しました。現状をGoogleマップで見たところ、2024年3月に改修されたようです。

 馬場川を南に下りますと、田手川と合流しまして、その先は筑後川を経由して有明海とつながっています。当時は有明海からの物資を積んだ船が往来していまして、神崎宿の経済を支える重要な川だったそうです。

 馬場川を渡って100mほど進みますと、右手に鳥居が見えてきます。(地図内②)

櫛田宮の一の鳥居
撮影月:2022年4月

 神崎宿の中心地である櫛田宮です。

 その先には、私の大好物の肥前鳥居がありました。(地図内③)

櫛田宮にある肥前鳥居
撮影月:2022年4月

 参考資料によりますと、肥前鳥居は慶長7年(1602年)に建立されたそうです。

 境内には鳥居以外にも、立派な拝殿や太鼓橋、琴の池、能舞台などなど見どころがたくさんありますので、お時間のある方はゆっくり巡られてみてはいかがでしょうか。

櫛田宮の拝殿
撮影月:2022年4月

西木戸口までの街並み

 櫛田宮から佐賀に向かう道の写真です。(地図内④)

櫛田宮の正面の長崎街道
撮影月:2022年4月

 100mちょっと進んだ先を右に曲がりますと勤労者体育館がありまして、そこに本陣跡があったそうです。(地図内⑤)

神埼宿の本陣跡
撮影月:2022年4月

 神崎宿には多くのお寺がありまして、そのうちのいくつかは脇本陣として利用されていました。

 櫛田宮から南に真っすぐ進んだ先の曲がり角にあります眞光寺は、当時の脇本陣のひとつです。

 眞光寺のところを右に曲がりまして、350mほど進んだところに西木戸口跡があります。(地図内⑥)

神埼宿の西木戸口跡
撮影月:2022年4月

 西木戸口を出ますと、長崎街道は川に沿って左に折れまして、その先のどこかで反対岸に渡ります。

 現在は渡れませんので、西木戸口から右に向かいまして、神埼橋を渡ることにしました。

西木戸口の先

 西木戸口の先は、しばらく城原川の土手を進みます。(地図内⑦)

城原川沿いの長崎街道
撮影月:2022年4月

 実際の街道は、土手なのか下の車道なのか不明ですが、車道には歩道がありませんでしたので、安全な土手を走ることにしました。

 しばらく進みますと、城原川に別れを告げて、長崎街道は左に折れます。(地図内⑧)

 県道48号に沿って進みますと、先で国道264号と合流します。

 その先の「地蔵橋」交差点の左のほうに、六地蔵がありました。(地図内⑨)

境原宿の手前にある六地蔵
撮影月:2022年4月

 私の知ってる六地蔵はお地蔵さまが6体横に並んでいるものですが、ここの六地蔵は6面のお顔を持った1体のお地蔵さんのように見えました。

 この先を国道264号に沿って進みますと、境原宿の東の入り口付近である「東原の町」交差点が見えてきます。

 今回はここまでとさせていただきます。

まとめ

 本記事では、神埼宿から境原宿までをご紹介しました。

 佐賀城より東にある宿場町は、佐賀の乱の影響で当時の面影は無くなってしまっています。

 冒頭でも触れましたが、神埼宿も甚大な被害を受けました。

 櫛田宮の正面の真っすぐな道は本陣も近かったので、たぶんメインストリートだったのではないかと思いますが、昔ながらの建物は見当たりませんでした。

 当時のままなのは、たぶん櫛田宮の鳥居など石でできたものくらいでしょう。 

 長崎街道沿いの地域は今後もさらに発展していくと思われますが、昔の交通の要であった道を残し続けてもらいたいですね。

 本記事に掲載しましたスポット以外にも、長崎街道沿いには見どころがたくさんあります。

 部分的でも良いですので、ぜひあなたご自身でご確認いただければと思います。

 長崎街道の全行程は下の記事をご覧いただければと思います。

 最後までお読みいただきありがとうございました!

(参考文献)

(1) 長崎街道  伊能図で甦る古の夢 著:河島 悦子

(2) 長崎街道 肥前佐賀路 (九州文化図録撰書)

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