長崎街道 ポタリング地図 轟木(とどろき)宿~中原(なかばる)宿

撮影月:2021年5月

 九州にある脇往還(脇街道)のひとつである長崎街道。

 江戸時代の重要拠点である長崎と江戸を結ぶルート上にある街道として、とても重視されていました。

 本記事では、長崎街道の轟木(とどろき)宿~中原(なかばる)宿までを自転車で実際に走ってみて、現地で見た街道沿いの史跡や景色などをご紹介しております。

 轟木宿は鍋島藩の東端にあります宿場町でして、轟木川(番所川)が藩境だったそうです。轟木宿の東の出入口には侍や足軽を配備した番所が構えられていて、出入りが厳重にチェックされていました。

 現在、常盤橋から長崎県側の起点までを自転車で走破すべく、時間のある時に少しずつ走っています。

 長崎街道の走破(現在挑戦中)に関しましては、別記事「長崎街道 ポタリング地図 江戸時代の歴史を感じる旅日記」に書かせていただいてますが、本記事はその部分的な記事になります。

 全工程をまとめる予定の別記事の方もご覧いただければ幸いです。

(追記)

2023年10月31日に常盤橋から長崎まで走破することができました!

宿場町ごとの記事は順次追加していく予定です。

長崎街道のルートマップ(轟木宿~中原宿)

 自転車で長崎街道を走行する際には、入念に事前調査を行った上で行っています。

 その際に、Googleマップのマイマップ機能で、走行ルートや史跡ポイントなどを記録していまして、そのマップを確認しながら走行してます。

 下のGoogleマップは、私が実際に走行したルートを公開用に再編集したものです。

 これが長崎街道の本ルートだ!というものではありませんので、参考程度にご利用いただければと思います。

 地図内の史跡アイコンで示す場所は、以下で解説しておりますポイントになります。

長崎街道のルート解説(轟木宿~中原宿)

 轟木宿があった場所は数多くのお茶屋や旅籠屋、鍛冶屋などが並んでいたそうですが、現在は住宅が建ち並んでいまして、当時の面影はほとんど残されていませんでした。

 でも、クランク型に折れている真っすぐな道はハッキリと残されていまして、宿場町として栄えた当時の様子を容易に想像できるでしょう。

 宿場の中心的な場所は、轟木日子神社だったそうです。旅人が道中の安全をお祈りするだけでなく、境内にある制札場(掟、条目、禁令などを掲示して住民に法令の周知徹底を行う場所)が情報収集の場でもありました。

轟木宿を散策

 轟木宿の東の出入口には、轟木番所が置かれていました。(地図内①)

 そばを流れる川は轟木川(番所川ともいう)でして、この川を境に轟木宿のある鍋島藩と田代宿のある対馬藩が分かれていました。藩境になる轟木川に架かる橋に境橋という名前が付いているのも、趣があってよいですね。

 番所跡を過ぎて100mほど進みますと、右手に鳥居が見えてきます。

轟木日子神社の一の鳥居
撮影月:2021年5月

 轟木日子神社です。(地図内②)

 一の鳥居の向かって左には、轟木宿の案内板と制札場跡の標識がありました。

轟木日子神社にある轟木宿の案内板
撮影月:2021年5月
轟木日子神社にある制札場跡
撮影月:2021年5月

 案内板によりますと、轟木宿は上町・中町・下町・新町の四町から成っていたそうです。付近の住所を調べてみたのですが、当時の町名は残っていませんでした。

 日子神社から南方向に、真っすぐな長崎街道が突き抜けています。(地図内③)

轟木宿のメインストリート
撮影月:2021年5月

 先の曲がり角までは、約300mありました。当時は、道の両側に様々な商業施設が建っていたんでしょうね。

 曲がり角を右に折れて250mほど進みますと、薬師橋があります。このあたりが宿場町の西の出入口になります。

 端のそばに、轟木薬師堂がありました。(地図内④)

轟木宿のはずれにある薬師堂
撮影月:2021年5月

 このお堂が、薬師橋の名前の由来だったのでしょうか。案内板などが見つからなかったので、分かりませんでした。

中原宿までの道のり

 轟木宿の西の薬師橋を渡りまして、100mほど進みますと、国道34号線にぶつかります。

 長崎街道は、国道沿いから離れた道を進みます。

 県道17号の広い道を横切って、100mほど進んだところに、長崎街道のルート案内の標識と看板がありました。

長崎街道の案内板
撮影月:2021年5月

 看板の内容によりますと、ここの三叉路を右に進むことになります。

 標識に「長崎街道左」「長崎街道右」とありますのは、三叉路の右の道から標識を見た場合、左方面は轟木宿で、右方面は中原宿という意味だと思います。

 標識の「長崎街道左・轟木宿へ」だけを見てしまいますと、三叉路を左に行ってしまいそうになりますね。ご注意ください。

 本記事の長崎街道マップのルートに沿って進みますと、九州新幹線の高架下をくぐった後、安良川を渡ります。

 その先の右側に、小高い山が見えてきます。朝日山です。

 長崎街道は、朝日山の麓を進んでいきます。

 軽い峠越えの道になっていまして、峠のちょっと手前に、長崎街道の案内板を見つけました。

安良村の案内板
撮影月:2021年5月

 この辺りに人家や茶屋があって、轟木宿の予備的な宿場として機能していたようですね。

 そして、目の前の朝日山には山城があったそうです。

 この先の長崎街道は、ゴルフ場(ブリヂストンカンツリー俱楽部)を横断することになります。

 その道には、ゴルフボール除けのための巨大なネットが張られていました。

長崎街道を守るネット
撮影月:2021年5月

 なぜこの道のためにネットを張ったのかは不明ですが、もし長崎街道の保全のためだとしたら本当にありがたいことですね。

 長崎街道は、この先にあります国道34号線を渡りまして、国道と並行している田舎道を進みます。

 国道を渡ってすぐのところに、六地蔵がありました。

長崎街道沿いにある六地蔵(村田村)
撮影月:2021年5月

 その脇に長崎街道の標識が建ってまして、下の方に「村田入口」と書いてありました。

 「村田」はこの辺りの地名なのかなと思っていましたら、その先を100mちょっと進んだところに、「長崎街道・村田町」と書かれた案内板を見つけました。

村田村の案内板
撮影月:2021年5月

 案内板によりますと、当時は多くの人家や茶屋、酒屋などが建ち並んでいたそうです。

 案内板に書かれている交差点付近の恵比須様を探してみました。たぶんこの石像だと思われます。

長崎街道沿いの恵比須様?(村田村)
撮影月:2021年5月

 かなり劣化していますが、地元の方のお世話のお陰でまだまだ現役で町を見守ってくれています。

 この先の沼川を渡ったところで、国道34号線にぶつかりまして、その先はほぼ国道沿いを進んでいきます。

 2kmほど進んだところにハンバーグ屋さんがありまして、そこから左に折れて中原宿に入っていきます。(地図内⑪)

まとめ

 本記事では、轟木宿から中原宿までをご紹介しました。

 2つの宿場の途中には、規模は小さいですが安良村と村田村にも宿場町としての機能がありました。

 このことは事前調査では気づいておらず、現地の案内板(鳥栖市教育委員会が設置)で知ることができたのです。

 自宅に戻ってから案内板に書かれていたことを詳しく調べることで、長崎街道のことをさらに深く知ることができました。

 興味が無ければ見逃してしまう案内板でも、人によっては宝物になります。

 そんなこと言っている私でも、自分に興味のない案内板は見向きもしません。でも、もしかしたらお宝情報があるかもしれませんので、今後は案内板を見つけたらできるだけ目を通すようにしたいと思います。

 長崎街道沿いの地域は今後もさらに発展していくと思われますが、昔の交通の要であった道を残し続けてもらいたいですね。

 本記事に掲載しましたスポット以外にも、長崎街道沿いには見どころがたくさんあります。

 部分的でも良いですので、ぜひあなたご自身でご確認いただければと思います。

 長崎街道の全行程は下の記事をご覧いただければと思います。

 最後までお読みいただきありがとうございました!

(参考文献)

(1)長崎街道  伊能図で甦る古の夢 著:河島 悦子

(2)長崎街道(九州文化図録撰書) 肥前佐賀路

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